貧困と格差

インターネットのニュースでこんな記事(下)を見ました。

記事タイトル:露モスクワ銃乱射 拘束の男、約80万円の報酬を約束された

たったの80万円くらいでテロという犯罪の実行犯にさせられてしまうんですね。

貧困や格差に対する私の知識と意見ですが、
世界には1日働いても1ドル程度も稼げないような人が居る(かなり昔の情報)
⇒ 現在でも近い人たちは居るでしょう(現時点での「自分」も含むかもしれません)
「弱い気持ち」しか持ち合わせていないカス(私からするとこういう表現になります)が、「自己防衛」のために【いじめ】や【差別】などをしてしまう。また適正な賃金・代金などを支払わずに「自分よりも弱い立場の人を(金銭的に)追い込んでしまう」というのが、根本的な原因のような気がします。
対策 → 生活に必要なお金(物自体が不足しているような場合には、それ相当の食料品や生活必需品などの現物)を供給してあげられれば、少なくとも「上記記事のような実行犯(少額のお金をもらってテロを実行してしまうような人)」は居なくなると考えます。

上記の内容を踏まえた上での話になりますが、格差※1は「あって当然!」です。無い方がおかしい!と思います。少なくとも、今までの「国民総中流という日本の考え方」はおかしい!と思います。・・・これだけだと誤解を生む可能性もありますので、もう少し掘り下げてお話をしようと思います。

一億総中流(国民総中流)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より一部抜粋

一億総中流(いちおくそうちゅうりゅう)とは、日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す、1970年代の日本の人口約1億人にかけた言葉で、1958年第1回と内閣府の「国民生活に関する世論調査」の第1回調査結果における自身の生活の程度に対する自身を中の上から中の下を選んだ人の回答比率で既に7割を超えていたことが根拠とされる。日本より中流意識が高い国にはスペイン・アメリカ合衆国・カナダなどがあるが、いずれも国民の数が約1億人ではないため、「一億総中流」という語は日本の場合にのみ使用される。国民総中流(こくみんそうちゅうりゅう)ともいう。2013年6月に実施された同調査でも、累進課税制度や治安の効果もあり、周囲を見回せば皆似たようなものであり、自分はマシな方だと感じているために9割以上の国民が自らの生活程度を「中」であると感じている


上記のことを踏まえた上で、下の記事の内容を読みました。

戦前の日本は超格差社会だった

【「戦前の日本は超格差社会だった」という記事を読む限りでは】という条件は付きますが、ここで言うところの「格差社会」は現在の日本の「格差社会」と同じに見えます。ただし、私が申している「格差」とはまったく意味が異なります。上記の「格差社会」はお金持ちはもっと潤い、貧乏人はどん底のまま(まともな生活ができないまま)、というロクでもない状態が続いてしまいます。こういった状態が原因で軍が戦争へ突き進んでいった・・・らしいです。

私の意見になりますが、まぁ、この記事を見ますと「日本軍」はアメリカに対して逆恨みしたんでしょうね。つまり軍・上層部の判断ミスでしょう。おそらく「中流」の意味を理解できなかったんでしょうね。「お金持ちの連中」が「貧乏人」に対して「生産性が向上した分の利益を還元しなかった」(現在までの日本も同じに見えます)ため、貧困・格差が拡大して、それを、おそらく「上の連中に物申せない弱虫でヘタレ」の「軍・上層部のボンクラども」が逆恨みしてアメリカに戦争を吹っ掛けた。という感じに私には見えます。・・・で、結果的に「そんな日本のボンクラども」が大国アメリカに勝てるわけがなく、当然のごとく負けた・・・というところでしょうね。

私か申しているところの「格差※1」とは、あくまで全国民に対してそれなりの生活ができる程度の金額を強制給付した上での格差、つまり「国民皆それなりの生活を国が補償した上での格差」です。戦前のような、まともに生活できないような状態はありえません・・・ということをご理解頂きたいです。

戦前の頃はまだ機械の値段は高価で、生産台数も現在に比べるとずっと少なかったでしょう。しかし技術の進歩により機械も戦前よりずっと低価格、生産台数も桁違いになっていると思われます。さらに市販CPU(MPU)として4ビットマイクロプロセッサ「4004」が1971年に出荷が開始されて以降、その進歩は目覚ましく4004は4ビットでクロックは500kHzから741kHz、現在のインテルCPUは64ビット、クロックは5GHz程度※2で1つのパッケージの中には、実質的にCPUが複数個入っていて、1つのCPUとして機能するものを「コア」と呼び、現在は36コアで更にハイパースレッディングと呼ばれる機能で「論理的」に倍の72コアを実現※3しています。だた物理的なコア数と論理的なコア数を同じ表記にしてしまうと混乱が生じるためだと思うのですが、「論理的なコア数」も含めた「コア数」を表すのに「スレッド」という言葉を用いています。

※1 格差
文章中では「格差社会」と「格差」に記述を敢えて分けて書いています。「格差」と記述したときには、あくまで皆平等な「格差」であると、ご理解頂きたいと思います。

※2 (あくまで傾向としてですが)
「コア数」が増えると「クロック」は低く抑えられる傾向にあるようです。

※3 (参考)
インテル Xeon w9-3475X BOX(2.2GHz,36コア,72スレッド)。AMDのCPUはもっと多くのコア数を搭載したものもあります。

このように機械の生産性、価格、性能など、また機械を制御するためのCPU(MPU)の処理能力向上、更には通信機器の発達などで、戦前の頃と現在とでは状況がまったく異なります。少なくとも戦前よりは、少ない人手(労力)で、高い生産性を確保できると思います。結果的には「格差※1」を実現できるのではないかと考えています。実際のところ、「格差※1」を実現できるか否かは正確な情報を持っている「国」に計算(試算)してもらわないと分かりませんが、おそらく実現できるだろうと私は踏んでいます。

最後に・・・

今まではおそらく「働かざる者、食うべからず!」という感じの社会だったと思いますが「働かなくても食える」社会、もちろん頑張った人には適正な評価をして、それに見合う報酬を支払う。その報酬より適正な税金を支払ってもらう。もちろん「働いてない人」にも経済活動を通じて「消費税」を支払ってもらう。そんな感じで経済を回せないかと思いますが・・・。できないですかね、自民党のボンクラ議員程度では・・・

もう一言、余計な一言ですが、現在の日本のいろいろな(すべての)システムは、一見するとまともに見えるかもしれませんが、私からすると「善良な国民」ではなくて「ロクデナシ」を増産するための(嫌な)システムのような気がします。ホント、ロクでもないですね(笑)。





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