
■これまで私が辿ってきた軌跡(人生)をできるだけ簡単にお話します。
私は栃木県(旧)黒磯市に生まれて小学校は市立波立小学校、中学校は市立東那須野中学校、高校は栃木県立那須工業高等学校(現:那須清峰高等学校)の電気科を卒業しました。最終学歴は高卒になります。その後、株式会社メイテックという人材派遣会社に就職しました。採用試験を受けた当時、会社側からは「栃木県に戻ってこれます」という説明を受けていました。また(当時)宇都宮に営業所もありましたので何の疑いを持つことも無く、また採用試験にも合格して内定を頂いたためそのままメイテックに入社しました。就職直後から、技術的な研修を受けることが決まっていましたので高校を卒業後、名古屋にある研修センターへ行きました。その研修センターで約10カ月の研修を受けました。私はプログラミングに関する知識は独学である程度は習得していたのですが、そこの研修では、より実践的な技術を教わりました。学校で習うようなものとは異なり、わずか10カ月でも私の技術はかなり向上しました。電気・電子回路設計(マイコンと汎用ロジックIC・トランジスタ等を用いたデジタル回路設計、オペアンプ等を使ったアナログ回路設計)、マイコンやシーケンサを用いた制御プログラミング、RS-232Cを使ったシリアル通信など、基本的な技術を一通り教わりました。正直言いますとこの研修で得た知識は(より実践的な内容で)工業高校で教わった内容と比較しますと天と地ほどの差があるように感じました。会社側も短大卒程度を目指す!と言っていたと記憶していますが、かなり控えめな表現だと思っています。私としてはすごくありがたい研修でした。もちろん「就職」ということでしたので、給料(ボーナスも)を頂いた上でのこと(研修)でした。
研修を終えて東京に戻ってきました。栃木に戻ってこられるかと思っていたのですが、バブルも弾けて不況になり始めていたこともあり、地元栃木ではなく、東京で派遣されることになりました。しばらくしてから派遣先が決まりました。派遣先は(当時)東京港区にあった「コンピューターソフト開発株式会社」というところでした。そこでは原子力発電所で万が一事故が起こってしまったことを想定して、その想定した事故による環境への影響を(コンピューターを用いたシミュレーションで)評価する仕事をしていました。そんな内容でしたので、クライアントは(当時)通商産業省と(親会社である)三菱原子力工業株式会社というところが主だったと思います。仕事は沢山やらされた気がしますが、(クライアント側の)上司が口頭では言えないようなことを色々と教えてくれていたのだろうと今では思っています。
東京で派遣が決まった後くらいから、実家へ電話すると父親から「帰ってきてくれないか」みたいなことを言われるようになりました。それから3年が過ぎた頃だったと思うのですが、姉(長女)が「統合失調症」と診断され、矢板市にある佐藤病院の精神科に入院することになってしまいました。この話は実家に電話した際に、妹から聞かされました。両親も若くは無くなってきていましたので「さすがに会社辞めて帰った方が良いかな?」と思いまして、会社を辞めて実家に戻ってきました。会社側に辞めることを伝えた後、いろいろ言われました。それこそ初めて会う...というか会わされたのですが、どこぞの会社の社長には「田舎は大変だよ!」みたいなことをかなり時間をかけて言われました。当時私は、何のことを言っているのか理解できていませんでした。今にして思えば、私の身を案じてのことだったのでしょう・・・と思います。今現在、私が置かれている状況を考えれば何となくですが、そう思います。
その後は(履歴書をご覧頂ければわかると思いますが)地元に戻ってきて就職をしたりしました。会社へ就職しただけでなく、(履歴書には書きませんでしたが)父親がやっている和牛の飼育などもやったのですが、いろいろありまして親と(特に父親と)仲が悪くなっていきました。
「いろいろ」の部分は割愛させて頂きます。正確に説明できる自信がありません・・・。
その後も「いろいろ」ありまして、親が警察沙汰にしてしまい、結果として私は強制的に那須塩原病院の精神科へ救急車に乗せられて連れていかれました。「強制的」とは言っても(救急車に乗せられたときに)暴れたりしたわけではありません。大人しく自分から乗りました。病院に着いて、(田口)先生の診察(?)を受けたのですが、「警察に2度通報された場合には強制入院になります。いいですか?」と聞かれました。親が2回通報したのは事実(私のところに2回警察がきました)なので、私は「強制入院だというならそうしたらいいじゃないですか」と言いました。そんな感じで那須高原病院に入院させられることになりました。
入院生活が始まり、しばらくして(2・3年過ぎた頃だったと思うのですが)、担当の副院長の田口先生から「あなたのお父さん、悪い人に見えないからあなたの妄想だよ」と、定期的に行われる診察中に突然言われて、しばらくした頃に診断書を見た(貰った・・・のかな?、記憶がちょっと曖昧ですが・・・)ところ、姉と同じ「統合失調症」と診断書に書かれていました(ちなみに入院時に貰った診断書にはまったく読めない字で「何か」が書かれていただけでした)。退院後に調べて知ったのですが、「妄想」ということで「統合失調症」なのだろうと思いました。結局、那須高原病院におよそ4年間入院させられて、退院後は1年間くらい病院のOT(作業療法)へ通い、その後1年足らずくらいですが、黒磯駅近くの喫茶店ホリデー(ゆずり葉)さんでお世話になり、その後那須高原ハム株式会社さんへ障害者求人でパートとして採用され、腰痛を患って退職するまでの約5年間、お世話になりました。腰痛を患ってしまったため(当時、椅子に座っているのも辛いくらいでした)、一般の会社へ就職するのはあきらめてA型事業所に行こうと考えました。
ハローワークへ行ってその辺の事情を説明して無事に現在の「ミライズ那須塩原 A型事業所」に採用してもらうことができました。ここでの報酬は最低賃金で、作業時間が4.25時間なのが最初から分かっていたので金銭的には赤字なのは覚悟していました。そんな感じでしたので、そんなに長くミライズでお世話になるつもりはありませんでしたが、今(2023年12月現在)も、お世話になっています。
私の履歴書と職務経歴書
以下の履歴書と職務経歴書はちょっと前に県外へ就職しようかな?と考えていたときに用意したものを少し修正したものです。履歴書に張り付けてある写真は少し古いもの(2~3年前のもの)です。面接に行く日が具体的に決まったら差し替えようと思っていた写真です。
■私の履歴書(PDF)
■私の職務経歴書(PDF)